パリ・ディズニーに ” 歴史 ” あり!
この記事について
こちらのページでは「ディズニーランド・パリ」の ” 深掘り知識編 ” ということで「シンボル」「歴史」「コンセプト」という ” 3つ ” のポイントに絞った、ディズニーパーク&リゾートの魅力について解説しています。パリ・ディズニーの知られざる「ヒストリー」や、誰かに話したくなるような「トリビア」など、ひとつ上ゆく知識を、” 厳選 ” してお届けいたします。
ディズニーランド・パークのエントランス
ディズニーランド・パリ(Disneyland Paris|略称:DLP)は、パリ(フランス)近郊の街「マルヌ・ラ・ヴァレ」に存在する、” 世界で4番目 ” のディズニーリゾートです。
ホテルやタウンエリア(ディズニー・ヴィレッジ)を含む、複数の施設やエリアでリゾートは構成されていますが、その中心となっているのが、ディズニーランド・パーク(パリ)/ウォルト・ディズニー・スタジオという、2つのディズニーパークです。
パークのデータ
ディズニーランド・パーク(Disneyland Park)
- 所在地:マルヌ・ラ・ヴァレ(フランス)
- 運 営:ウォルト・ディズニー・カンパニー
- 開園日:1992年4月12日
- 面 積:57万㎡
- 来園者数:約990万人(2022年度)
- 公式ウェブサイト:【URL】
ウォルト・ディズニー・スタジオ(Walt Disney Studios Park)
- 所在地:マルヌ・ラ・ヴァレ(フランス)
- 運 営:ウォルト・ディズニー・カンパニー
- 開園日:2002年3月16日
- 面 積:27万㎡
- 来園者数:約530万人(2022年度)
- 公式ウェブサイト:【URL】
パークシンボルについて
パリのシンボルは ” 眠れる森の美女のお城 ” です
ディズニーランド・パーク編
ディズニーランド・パークのシンボルには、本家(カリフォルニア)と同様「眠れる森の美女のお城」が採用されています。
しかしながら、その装いは ” カリフォルニア版 ” とは著しく異なっています。
こちらが ” 本家のキャッスル ” です
言わずもがな、欧州には ” リアルなお城 ” が、多数、現存しています。
中世に建てられた「古城」に敬意を払う(=「別格」に扱う)という意味において、パリ・ディズニーのシンボルとして建設される ” お城 ” には、他のディズニーパーク以上に ” オリジナリティ ” が求められた、と言われています。
ここの ” オムレツ ” は名物料理ですが、お味は…
お城のデザインは、ドイツの古城「ノイシュヴァンシュタイン城」をモデルにしていると言われていますが、フランス北部のノルマンディー地方を代表する観光地「モン・サン・ミッシェル(Mont Saint-Michel)」の ” 修道院 ” にもインスパイアされているそうです。
パリのお城には「ノートルダム」も息づいています
また、ステンドグラスは「ピーター・チャップマン(Peter Chapman)」による監修も行われたとのこと。
彼は、パリ市中心部に位置する「シテ島」のランドマーク「ノートルダム大聖堂(Notre-Dame de Paris)」の修復にも携わった人物としても知られています。
メイン・ストリートからの ” 見え方 ” に試行錯誤を重ねたとも
古城を敬い、オリジナリティを追求した結果、” ディズニーパーク No.1 の美しさ ” という呼び声も高い、あの唯一無二のキャッスルが、パリに誕生しました。
ウォルト・ディズニー・スタジオ編
WDSの開園(2002年)と同時に、お披露目されました
一方、ウォルト・ディズニー・スタジオのシンボルとなっているのは「ミッキーの貯水塔(Earful Tower)」です。
こちらは、米国(カリフォルニア)の「ウォルト・ディズニー・スタジオ」内に実際に建てられている「給水塔」からインスピレーション得て建造されたタワーとなっています。
こちらは ” パリ ” のシンボルですね
ちなみに「Earful Tower」とは、塔の形状でもある、” ミッキーの耳(=ear)” ならびに、パリの観光名所、” エッフェル塔(=Eiffel Tower)” をもじったものだと言われています。
ディズニーランド・パリ・ヒストリー
2022年に ” 開園30周年 ” を迎えました
さて、ここからは「ディズニーランド・パリ」の歴史について、解説していきたいと思います。
知っている方も大勢いらっしゃるかもしれませんが、開園当初(1992年4月12日)、ディズニーランド・パークは ” 欧州のディズニーパーク ” を意味する「ユーロ・ディズニーランド(Euro Disneyland Park)」と呼ばれていました。
改称の流れなどは、追々、お届けいたします。
まずは、開園前のお話から…。
建設の候補地となったのは…
開園時の ” 名残 ” が、今もなお
カリフォルニアとフロリダのディズニーパーク事業の成功を背景に、米国「ウォルト・ディズニー・カンパニー(The Walt Disney Company)」が、ヨーロッパに ” 新たなディズニーパーク ” を建設する計画をスタートさせたのは、1972年のこと。
その候補地となったのは「イギリス」「フランス」「イタリア」「スペイン」の4ヶ国でしたが、広大な土地の確保が困難という理由で、イギリスとイタリアは、早々に候補から離脱。
「フランス」と「スペイン」の一騎打ち、という状態となりました。
TDLの開園とその影響とは…?
オリエンタルランドの ” 偉業 ” があってこそ…
1983年、欧州に先行する形で「東京ディズニーランド(TDL)」が、千葉県の浦安市にオープン。
米国ディズニー社とのライセンス契約により「株式会社オリエンタルランド(OLC)」が、ディズニーリゾートを経営するという、” 世界初 ” の試みが行われましたが、東京のディズニーパークは、誰もが知る「大成功」をおさめます。
この、OLCによる ” 偉業 ” は、ディズニーパークの国際展開に対する、ポジティブなビジョンになったとも…。
飛行機で2時間以内に3憶人が来園可能な土地として選ばれました
さて、候補地問題に話を戻しましょう。
初期の構想段階では、” 地中海性気候 ” が、カリフォルニアやフロリダのコンディションに近いということもあり、建設地として有力視されていたのは「スペイン」だったそうです。
しかしながら、ヨーロッパのほぼ中心に位置するという ” アクセスの良さ ” や ” 集客力 ”、都市部近郊に広大な平地(マルヌ・ラ・ヴァレ)を確保できるといった好条件が揃っていた「フランス(パリ)」が、最終的な建設地として選ばれることになりました。
建設スタート&パークの開園
魔法の力でパッパッパッ
パークの建設工事が開始されたのは、1988年8月のこと。
その約2年後の1990年、パークのオープンに先立ち、ユーロ・ディズニーランドの ” 広報 ” として機能する組織「エスパス・ユーロ・ディズニー(Espace Euro Disney)」が開業します。
そして「1992年4月12日」欧州初のディズニーパークとして「ユーロ・ディズニーランド」は、晴れてグランドオープンを果たしました。
度重なる ” 困難 ” の連続、そして ” 改称 ” へ
今では考えられない状況に…
パークのオープンには漕ぎつけたものの、悩みの種となっていたのは「入場者数」でした。
初年度は、シミュレーションしていたアテンダンスの半分(またはそれ以下)の集客だったと言われています。
その後も、従業員の雇用解除、財政難、株価の急落、といった環境の悪化も重なり、ユーロ・ディズニーは順風満帆な船出とはならなかったようです。
改名で ” 運気 ” が上昇!?
1994年10月1日、パークの名称がこれまでの「ユーロ・ディズニー」から「ディズニーランド・パリ(Disneyland Paris)」へと変更されました。
その翌年には新アトラクション「スペース・マウンテン(Space Mountain: De la Terre à la Lune)」がオープン!
入場者数も徐々に伸び始め、1995年度の決算では、ついに債務完済を発表!
経営環境も徐々に改善されていきました。
7年遅れで ” WDS ” がオープン!
元々は「1995年」に開園する予定でした
ディズニーランド・パリにおける第2パーク「ウォルト・ディズニー・スタジオ(Walt Disney Studios Park)」が「2002年3月16日」にグランドオープンを果たします(※)。
セカンドパークの誕生に伴い、第1パークは「ディズニーランド・パーク(Disneyland Park)」へと改称。
これにより「ディズニーランド・パリ」は、” リゾート全体を表す名称 ” となりました。
補足(※)
オープンが延期となった主な理由は、上述のとおり、ユーロ・ディズニーランドにおける「入場者数」の伸び悩みと「財政難」によるもの。経営環境の改善に伴い、一度、白紙に戻った「第2パーク構想」が再浮上。小規模運営という形をとることで、パリに「WDS」が誕生することに。
もはや「ラタトゥイユ」はモンスター・アトラクション!?
ウォルト・ディズニー・スタジオのオープン当初は、アトラクションの数も少なく、ディズニーランド・パークと同様、入場者数は思うように伸びることはありませんでした。
しかしながら、
- 2007年
- クラッシュ・コースター
- トワイライト・ゾーン
- 2010年(※)
- RC レーサー
- トイ・ソルジャーズ・パラシュート・ドロップ
- スリンキー・ドッグ・ジグザグ・スピン
- 2014年
- ラタトゥイユ
と、数年の間にアトラクション数を増やしていき、客足は着実に伸びていきました。
補足(※)
2010年、” 世界初 ” の『トイ・ストーリー』をモチーフとしたエリア「トイ・ストーリー・プレイランド」が「ウォルト・ディズニー・スタジオ」に誕生。本エリアは、香港や上海のディズニーパークに導入された「トイ・ストーリー・ランド」のプロトタイプとなっている。
アベンジャーズ・キャンパスの誕生、そして、未来へ
ロックンローラー~が ” 鉄人 ” に生まれ変わりました
2022年には、新エリア「アベンジャーズ・キャンパス」がオープン。
アベンジャーズ・アセンブル:フライト・フォースをはじめとした、” 独自 ” のアトラクションやエンタテインメントを導入し、ウォルト・ディズニー・スタジオは、他のディズニーパークでは味わえないエクスペリエンスを有する、唯一無二のパークへと成長していきました。
ミッキーマウスと手をつなぐウォルト・ディズニーのブロンズ像
年間の入場者数という観点からも、ディズニーランド・パリは「ルーヴル美術館」や「エッフェル塔」を上回るようになり、今や、ヨーロッパ No1. の観光地に。
数々の困難を乗り越えてきた ” ユーロ・ディズニーランド ” は、ヨーロッパという土地の魅力を活かした、独自のコンセプトと経営方針によって、” ディズニーランド・パリ ” という、華麗なる変貌を遂げました。
これからも激動(!?)かつ、魅力的な歴史を、パリ・ディズニーには紡いでいって欲しいですね!
パリの ” コンセプト ” についての一考察
パリは独自の魅力にあふれています
パリにおいて ” レトロフューチャー ” は重要なコンセプト
ディズニーランド・パークは「眠れる森の美女のお城」をシンボルとした、” 本家(カリフォルニア)型 ” にて設計されたディズニーパークではありますが、単なるカリフォルニア版の ” クローン ” とならないよう、意匠やコンセプトに関してはいくつかの変更が加えられています。
その最たるものが「お城のデザイン」と「ディスカバリーランド」の存在です。
優美なデザインの裏側には…
お城については、上述のとおり、欧州特有の「伝統」と「慣習」に基づいて設計されたため、あのような、ワン・アンド・オンリーのマスターピースが誕生しました。
パリ版のキャッスルには「他のパークとは異なる路線で進んでいく」という、ヨーロッパ…、というか、フランスらしい、強い ” 独立精神 ” が、そのデザインに反映されているようにも思えます。
TDSのポートディスカバリーも同様のコンセプトとなっています
キャッスルのデザイン以上に ” オリジナリティ ” が感じられるのは、テーマランドのひとつとなっている「ディスカバリーランド」の存在です。
フランスのSF作家「ジュール・ヴェルヌ(※)」が描く、小説の世界観を創出した本エリアは「近未来」を意味する ” トゥモロー ” ではなく、過去の人間が描いた未来像を意味する ” レトロフューチャー ” をコンセプトとしています。
故、他のディズニーパークの ” トゥモローランド ” とは一線を画し、どこか懐かしさや、ノスタルジックな雰囲気を漂わせる空間が広がっています。
補足(※)
ジュール・ヴェルヌ(Jules Gabriel Verne):フランスの小説家(1828年 - 1905年)。主な作品に『地底旅行』『月世界旅行』『海底二万里』『八十日間世界一周』『十五少年漂流記』など。SFの開祖であることから「SFの父」とも呼ばれる。
こんな ” トゥモローランド ” は見たこともない
エリアの設計には、古典的な建築様式のひとつでもある「ヴィクトリア様式(※)」が採用されています。
故、スペース・マウンテンやオービトロンといったアトラクションの外観やカラーリングは、華美でゴージャスな印象となっています。
補足(※)
ヴィクトリア様式:19世紀半ばから後半にかけて再興された、古典的な建築様式のひとつ。金属やガラスなども使用され、豪華さを特徴とする、イギリスの代表的なアンティーク・スタイル。
TDSの ” プロメテウス火山 ” の原型!?
イタリア(ナポリ)の「ヴェスヴィオ火山」がモデルとなっています
元々、ディスカバリーランドには「ディスカバリー・マウンテン(Discovery Mountain)」という、複合的な屋内エリアを建設する構想があったようです。
その計画が頓挫してしまった理由は、当時、深刻な財政上の問題を抱えていたディズニーランド・パリ(ユーロ・ディズニーランド)にとって、莫大な予算を必要とする本開発の「Goサイン」が出なかったから、だと言われています。
ユーロ・ディズニーの台所事情は、もはや語り草…
ちなみに、ディスカバリー・マウンテン内には、
- ディズニーランド鉄道の駅舎
- 火山島&ラグーン
- ヴェルヌの小説『月世界旅行』や『地底旅行』に基づく絶叫マシン
- 潜水艦(ノーチラス号)をモチーフとしたアトラクションやダイニング
- ホライズン(以前、エプコットに存在したアトラクション)
といった施設が導入される予定だったと言われています。
火山島?ノーチラス号?『地底旅行』に基づく絶叫マシン!?
そのエリア、どこかで見覚えがあるような気がしませんか?
そうです。ディスカバリー・マウンテンの構想はのちに、東京ディズニーシーのテーマポート「ミステリアスアイランド」のエリア設計に採用されることとなったのです。
当初のコンセプトどおり、ミステリアスアイランドは ” 火山(プロメテウス)” を中心とする島というレイアウトとなっており、火山島の周りには「ラグーン」そして、潜水艦「ノーチラス号」が停泊しています。
ノーチラス号にも ” あの火山島 ” が!?
ディスカバリー・マウンテンの構想のひとつに挙げられていた『地底旅行』に基づく絶叫マシンというのは、火山を舞台とした ” フリーフォール型のスリルライド ” だったと言われています。
その名も「センター・オブ・ジ・アース(Journey to the Center of the Earth)」。
噴火口に向かって落下するという、絶叫マシンとなる予定でした。
ディスカバリー・マウンテンの ” 幻の火山島 ” を原型としています
現在は ” フリーフォール型 ” ではなく、地底探検中の走行車が噴火の被害から逃れるために、火山から脱出するという内容を展開するアトラクションへと形を変え、遥々、日本(東京ディズニーシー)に誕生することとなりました。
” 叶わぬ夢 ” と ” レトロフューチャー ” はどこか似ています
現在、ディスカバリー・マウンテンの建設候補地となるはずだった場所には「スペース・マウンテン」と「ノーチラス号」のみ導入されており、その周りには、かつての構想にあった ” ラグーン ” が広がっています。
ディスカバリー・マウンテンそのものは見果てぬ夢となりましたが、今でもこの地には、その名残がひっそりと息づいているのです。
一方、” WDS ” のコンセプトは…
” アニメーション ” そのものを学べるアカデミーも
ウォルト・ディズニー・スタジオは元々、「ディズニー・MGM・スタジオ・ヨーロッパ(またはディズニー・MGM・スタジオ・パリ)」という名称でオープンする予定だったと言われています。
なぜならば、” 映画 ” や ” アニメーション ” の世界をテーマとしているフロリダのディズニーパーク「ディズニー・MGM・スタジオ(現:ディズニー・ハリウッド・スタジオ)」をプロトタイプとしてパークを設計したからです。
フロリダにもかつて「スタジオ・トラム・ツアー」がありました
最終的に「ディズニー・MGM・スタジオ」の名を冠することなく「ウォルト・ディズニー・スタジオ」としてオープンすることになりましたが、コンセプトそのものは揺らぐことなく、映画やアニメーション作品をテーマとするアトラクションやエンタテインメントを数多く、導入していきました。
とりわけ、映画撮影の裏側や特撮シーンをトラム型の車両で見学する「スタジオ・トラム・ツアー(※)」は、本パークのコンセプトを具現化したアトラクションであると言えるでしょう。
※ 新エリアの開発のため、本アトラクションは「2020年」にクローズ。その後「カーズ・ロード・トリップ」として、2021年にリニューアルされました。
現在、鋭意建設中
現在は、フローズンやマーベルといった、新たなコンテンツをテーマとしたエリアの開発に注力しているようです。
かつてテーマエリアのひとつとして存在していた「バックロット」は、再開発の対象となり、2022年に「アベンジャーズ・キャンパス」が誕生。
そして『アナと雪の女王』をテーマとした新たなエリアが、2025年にオープンする予定となっています。
人気作と時代の流れを加味しつつ、一段階上のレベルへとのぼり始めた「ウォルト・ディズニー・スタジオ」。
フロリダのパークとはまたひと味違った切り口で、世界中のゲストを魅了し続けていくことでしょう。
第3パークの可能性は…!?
えぇっ、第3のパークだって…!?
リゾート内のディズニーホテル「シャイアン」「サンタフェ」に隣接するエリアには、まだ広大な敷地が残されているため、パリに ” 第3パーク ” が建設されるのではないか、と、囁かれています(あくまで噂に過ぎませんが…)。
ちなみに、一時期、フロリダの「エプコット」と似たディズニーパークをパリに建設する構想も出回っていたようです。
仮に造られていたならば、ワールド・ショーケース内に「エジプト」をテーマとしたパビリオン(エジプト館)を建設する案もあったようです。
これはこれで興味深いパビリオンになりそうなので、個人的には実現して欲しかった、と思っています w
ディズニーランド・パリの歴史を振り返ってみて…
まだまだディズニーの歴史は続いていきます
今回は、ディズニーランド・パリの「シンボル/歴史/コンセプト」についてのまとめ記事をお届けしました。
ディズニーパーク(ディズニーランド・パーク/ウォルト・ディズニー・スタジオ)を象徴するアイコンやパーク設計、根幹を成す概念やパリ・ディズニーの歴史について、トリビアを交えながら、解説させていただきました。
歴史やコンセプトといった知識がなくても、パークそのものは楽しめますが、知っていると、もっと深く、もっと愛着を持って、ディズニーパークを味わえるようになるのではないでしょうか。
本記事が「ディズニーランド・パリ」へ訪問される皆さまが、より楽しんでもらえるためのコンテンツになれれば嬉しいです^^